四人の下町ハンコ職人
小林 正二(千曲堂 三代目)
前回の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)、小林 正二(号:董洋)は浅草の老舗ハンコ店「千曲堂こばやし」(創業昭和6年)の三代目として生まれました。
高校卒業後、当時港区虎ノ門にあった名門ハンコ店「長澤印店」を経て、大阪のハンコ彫刻専門会社でハンコ彫刻技術を学びます。
5年間の修業を終えて24歳で家業を継いだ彼は、その高い技術で都内大手ハンコ店からの信頼を得て、それ以来、数多くの注文を一手に引き受けてきました。
「千曲堂こばやし」二代目店主・小林 吉重氏は知る人ぞ知る伝説のハンコ職人。三木武夫・福田赳夫・大平正芳と、昭和の歴代総理大臣の私印を手がけました。
偉大な父・吉重氏が遺した独特の作風を小林 正二が忠実に復刻したのが「吉印体」(きちいんたい)です。
オーソドックスな篆(てん)書をベースに、柔らかなカーブと微妙な線の太細により、生命が宿ったかのように生き生きとした表情を見せる「吉印体」は、今や小林 正二の代名詞として有名印鑑ネットショップ「美印工房」や「昭和印鑑工房」でも圧倒的な人気を誇るオリジナル書体です。
「当初は親父の一文字を取って吉印体と名付けましたが、今ではお客様に多くの『吉』が舞い込むようにと念じながら彫刻しています」
彼の実家は「縁結び神社」として有名な今戸神社の近くでもありますので、お客様のご希望により、完成したハンコを手に、浅草神社か今戸神社のいずれかに参詣いたします。(写真は今戸神社)
※「千曲堂こばやし」の店舗営業は終了いたしました。小林 正二作【吉印体】へのご注文は引き続き当店オンラインショップにて承ります。
伊藤 睦子(伊藤印房 二代目)
伊藤 忠吉が浅草に「伊藤印房」を開いたのはまだ戦後まもない1947年(昭和22年)のこと。
その背中を見て育った長女・睦子は早くからハンコ彫刻の道を志し、高校を卒業すると同時に父親に弟子入りします。
ところがその4年後に父・忠吉が病に倒れ、彼女はそれ以来、試行錯誤を繰り返しながら、ほぼ独学でハンコ彫刻を身につけます。
彼女を一躍有名したのが自身が考案した自然木の遊印「小枝印鑑」。2000年(平成12年)の発売以来、多くのメディアに取り上げられてきました。
そんな伊藤 睦子が今もっとも情熱を注いでいるのがオリジナルのハンコ書体「翔印体」(しょういんたい)。伸びやかな文字があたかも羽を広げて大空を舞うかのような姿は、常に柔軟な発想で新たなスタイルに挑み続ける彼女のイメージそのもの。
「翔印体と名付けたのは、これからの人生で飛躍したいと願う若いお客様を応援したいから」と語る女職人のモットーは「創意・熱意・誠意」、常に真心こめた丁寧な仕事を心がけています。
また彼女は完成したハンコを手に酉の市で有名な浅草鷲(おおとり)神社に、お客様の開運招福と無病息災を願って参拝します。
牧野 敬宏(佐野印房 三代目)
山梨県南巨摩郡でハンコ彫刻の修業に勤しんでいた佐野 守保が浅草・仲見世通りに「佐野印房」を開いたのは1932年(昭和7年)。
その後、終戦の年に店を春日通りと清洲橋通りの交差点沿い現在地に移転して以来、地元・近隣に親しまれてきました。
創業者の孫にあたる牧野 敬宏が店を継いだのは23歳のとき。
それ以来、名人と謳われた先代店主・佐野 忠正(創業者・守保の弟)の薫陶を受け、ハンコ彫刻技術を熱心に学びました。
その牧野 敬宏が現在熱心に取り組んでいるのが「金印」で知られる日本でいちばん有名なハンコ、国宝「漢委奴国王」作風の再現。
本人曰く「金印に彫られた文字は太く直線的で、まさにハンコの原点とも言うべき強烈なオーラが伝わってきます。素材も彫り方も現代のハンコとは異なるので完全な再現は困難ですが、できる限り近づけるよう、持てる技術のすべてを投入します」
いにしえの名もない名工の作風を今日に復活させたその名もズバリ「金印体®」(きんいんたい)。「私自身も金運にあやかりたいけれど(笑)、 それ以上に、ご愛用いただくお客様が『人生の金メダル』を獲得していただけるよう、精魂込めて彫刻します」
なお実際の「漢委奴国王」は、文字線が凹むように彫り込んでありますが(朱肉を付けると文字が白く写ることから『白文』といいます)、この「金印体®」は実用性を考慮し、通常の印鑑と同じように余白を切削することで文字が凸と浮かび上がるように彫刻します(これを『朱文』と呼びます)。
※「金印体®」は登録商標です。
牧野 敬宏は完成したハンコを持って、活気に満ちた祭礼で有名な鳥越神社に詣でます。
福島 恵一(福島印房 三代目)
福島印房が台東区上野の現在地に店を構えたのは今から一世紀以上も前の1892年(明治24年)4月。以来、震災や戦火を乗り越え、今日まで営業を続けてきました。
そんな老舗ハンコ屋の長男として生まれた福島 恵一は、大学卒業と同時に家業を継ぐことを決意します。
日々の多忙な業務の合間を縫って彫刻技術習得に励んだ彼は、2004年(平成16年)に晴れて厚生労働大臣検定 印章彫刻一級技能士に合格します。
多くの下町っ子がそうであるように、お祭り好きという点では福島 恵一も人後に落ちません。
「年に一度の高揚感もさることながら、お祭りを通して地元の先輩方から多くのことを学ぶのがうれしく楽しい」と彼は目を輝かせます。
しかし2020~2021年は新型コロナの影響で地元の祭礼も取り止めとなり、悔しくも寂しい思いをしました。
そんな彼が思い至ったのは「お祭りをイメージした、パワーがみなぎるようなハンコ」。
「しっかりと地に足をつけ、神輿を高く差し上げる四肢の力強さをイメージしました。お客様の人生に活力を、という願いを込めて『力印体』(りきいんたい)と名付けました」
そう語る彼が厳粛な気持ちと溢れる気合いで彫り上げる「力印体」は、下町職人の心意気がたっぷり注入されています。
福島 恵一は彫り上げたハンコとともに、奈良時代に創建された下谷神社に拝礼します。
いずれも個性豊かな、彼らにしか彫れないハンコ。
「ぜひこの職人に、私のハンコを彫ってもらいたい」
お客様のその一言を糧に、彼らは今日もハンコと向き合っています。